ヅカローがHiGH&LOWの前日譚としてあまりに美しすぎた
私はいわゆる「ハイローから入ったLDHのfam」である。
ザム(HiGH&LOW THE MOVIE)が何だか凄いとTwitter上で話題になり、推し俳優が出ていたこともあり劇場まで足を運び、ズルズルとLDH、主にEXILE TRIBEにハマった、よくいるオタクの端くれだ。
そんな私はこの度、宝塚大劇場に初めて赴くこととなった。
ヅカロー……「HiGH&LOW THE PREQUEL」を鑑賞するためである。
あの宝塚歌劇団が、何故かハイローを舞台化し、しかも「コブラが無口」になったきっかけ――つまり本編の前日譚が今頃明らかになるというのだから驚きである。いろんな意味で驚いた。本当に。
宝塚歌劇団の舞台を鑑賞するのは、地方公演が地元で上演された折に数度という、ほぼほぼ初心者・演者に関しては全くの無知である。それがまさかハイローのために宝塚大劇場まで遠征することになろうとは夢にも思わない。なんでだ。
しかしもう、とにかくハイロー関係なら「とりあえず観る! 絶対に面白いから!」という確信をこの6年余りで得ていたので、不安要素は少なかった。
宝塚も、ベルサイユのばらばかりではない。ウエストサイド物語(というか山王連合会初見の感想がコレだった)なども演目にあるし、まあ、なんとかなるでしょ!「トゥナイト」を歌うコブラが脳裏を過る。うん、このビジュアルのコブラなら歌う。大丈夫! 不安要素はない!
コブラの恋人(?)の存在以外には――
かくして私は、宝塚大劇場の2階席に座っていた。
さすが専用劇場。格式高く、眺めも良好。いつかは行きたいと思っていた大劇場の1回目がハイローになるなんてなあ……と不思議な気持ちでいっぱいになっていた。
開演。わーすごい、宝塚大劇場だ。すごい。お客さんみんな拍手がプロ。
さっそく始まるのはSWORDの説明。例のやつ。
原作でいうところの立木文彦がちゃんといる。やっぱりこれがなきゃハイローじゃないね。
G-SWORDという初期にだけ存在した(わたしが忘れてただけ)名称もちゃんと登場する。うわ、え、再現度高い。なんだこれは。
なんだこれは……?!!?!!
以下、ヅカローのここがすごいポイントと感想を列挙していく。ネタバレもあります。
各チームのメインどころかサブキャラまでやたらと再現度が高い
大体SWORDの各チームはトップ1人に対してナンバー2が1人か2人いて、山王でいうところのコブラ・ヤマト、ラスカルズはロッキー・コウ、鬼邪高は村山・古屋・関……と並んでいくのだが、トップ5人はもちろん、ナンバー2の面々を筆頭に、チームメンバー全員の再現度がめちゃくちゃに高い。
2階席から双眼鏡無しで見て、原作を知っていれば、すぐに誰と分かる。カニ男!!!!カニ男じゃないか!!!!!!!!
苺美瑠狂もきちんといる。純子さん本人かと思った。
もちろんラスカルズのゴールデンボンバーもちゃんといて笑っちゃった。
劇中歌がちゃんとそのまま使われる
楽曲は宝塚完全オリジナルなのかと思いきや、開始早々流れるのはおなじみ「HIGHER GROUND」。
えっ まさか歌うんですか……歌ってる!!!
個人的に一番好きな「RUN THIS TOWN」も勿論、スモーキーが熱唱する。スモーキーが。おもろいポイントその1。
登場人物の所作の再現度
1つ目と重複する点もあるのだが、ここがまたすごい。
ルードはパルクールを彷彿とさせる、静かでアクロバティックな動き。鬼邪高は体当たり上等の、THE ジャパニーズ 不良ムーヴが素晴らしい。達磨一家の日向は怠惰で緩慢な所作だが、得体のしれない風格を背負っている。
どこを取っても隙がなく、まったくもってハイアンドローの世界の登場人物が舞台上で動き回っているのだ。こんなエキサイティングな体験ある?!
THE タカラヅカ的要素とHiGH&LOW世界の融合
山王がメインとなるとどうにもキラキラに欠けるのが難である。
そこを思い切り宝塚の方角に振り切るのがロッキーとホワイトラスカルズの存在。
SWORDの中で一番キラキラしているのは、ホワイトラスカルズだろう。ロッキーの歯はピカピカだし、クラブ経営してるし。白いし。清潔感が一番あるし。(時計じかけのオレンジだけど)
「仮面舞踏会」という、なんじゃそりゃ!な要素も、ラスカルズ主催となればアレ、違和感がないぞ……?!と気が付くとタカラヅカの世界に入ってしまう。宝塚ファンのフォロワーに心配されましたが、全然親和性ありました。
山王の次点にラスカルズ・そしてリーダーがもともと独自に儚く耽美な世界観を構築していた「ルードボーイズ」を持ってくることで、水と油が混ざり合って見事に乳化する。素晴らしい。
そういえば時系列的にDTC設立前なのでヤマトとダンとテッツが3馬鹿(?)ポジションになっていて面白かった。
白い衣装を着て仮面で顔を隠し、舞踏会に乗り込むヤマトとダンとテッツ……DTCではないけど、DTCにありそう……いや、観たような気がしてきたなあ……
ここ!!!!!!!!
ここが一番感動したポイントであり、宝塚の脚本の凄さを体感した。
本編中のコブラはMUGEN時代を除き、得てして「多くを語らない」リーダーである。
ドラマ版で描かれた幼少期・MUGEN時代や、ザムでの琥珀に対する態度を見るに、根っからのクールタイプというわけではなく、ちゃんとヤンチャができ、熱く、気さくな一面もあることが伺い知れる。
それが「多くを語らない」男になったのは、龍也を亡くし、琥珀と九十九も失った山王商店街と、今ムショに(こういう歌詞の曲が最初にあってめちゃくちゃ面白い ノボルは 今ムショに~♪)いるノボルが帰ってくる場所を作って待っているという重責を背負ったことからだと思っていたのだが、どうも違うというのがヅカローの要であり、妙である。
本編を見ていると、コブラはモテこそすれ恋愛などまるで興味なし(ハイローの登場人物は大体そうだが)という人間で、そこが私の抱いた唯一にして強大な不安要素――「コブラ」と「恋愛」は結びつくのか――であった。
しかも突然のオリジナルキャラクター「カナ」がその対象。そりゃ宝塚ですからね。恋愛は不可欠ですよ。でもだからってコブラに恋愛なんて……と思っていた自分を殴ってやりたい。
まるで「ローマの休日」を見ているかのような、ふたりの楽しげな交流。
無邪気で愛らしいカナの存在だけで、コブラが美しく儚い空気感に溶け込んでいく。
コブラにコブラツイストを掛けたことから一目置かれたとかいう設定が吹き飛んで、この瞬間が永遠に続けばいいのに……そう……MUGEN……と、私はコブラとカナに夢中だった。
一番素晴らしく感動し感激したのはふたりのキスシーンである。
カナの生前、何度もふたりは良い感じになるのだが、決して一線を越えることはない。キスしようとして額を合わせたシーンが劇中で一番好きです……。
それが最後、コブラが見た願望・幻想なのか、何なのか……ふたりが唇を重ねるのは、山王商店街のアーケードの上――カナの死後なのである。
ああ、コブラ……哀しきコブラ……カナ……我が人生に咲き誇りし最大の花よ……
ここに「コブラ」と「恋愛」の正解を見た。素晴らしい。なるほどこれは宝塚でしか描けまい。もう何も言えない。
少し泥臭く、ときに殴り合い、SWORD地区に生き、しかしカナというひとりの女性に秘めた想いをほんのひととき寄せたコブラの「うたかたの恋」。
ロマンチックでいてロマンチックすぎない、泥臭くいて泥臭すぎない。
とんでもない化学反応の場に立ち会い、私は脱帽し、しばらく何も考えられなかった。
ヅカロー。ありがとう、ヅカロー。ありがとう、LDH。
できれば次作を待ち望み、できれば雨宮兄弟が……出て欲しいです……
あと、泊まりだったので翌日大劇場に再度訪問し、ロッキー(芹香斗亜様)のブロマイドの全部セットを購入しました。本当はスモーキーも欲しかったけど完売でした!完。
俎上の鯉が二度跳ねなかった
去年「窮鼠はチーズの夢を見る」が実写映画化されるというニュースが飛び込んできた。
私が原作となる漫画と出会ったのは、10年ほど前になる。
2004年に発表された「キッシング・グーラミー」を第一作とし、約6年にわたり不定期で発表された一連の作品である。
そのうちのひとつが、今回の映画のタイトルにもなっている「窮鼠」だ。
本作は男性同士の恋愛を扱った作品であるものの、いわゆるボーイズラブものではなく、小学館のレディースコミックレーベルから発行されている。
愛憎渦巻く展開と過激な性描写は、確かにレディコミ然としている。
男女入り乱れ、まったくもって一筋縄ではいかない大人の恋愛模様を描いた作品である。
私が本作を初めて読んだ10年前、すでに完結から1年以上が経過していたが、それでもなお傑作と名高い作品であった。
実際読んでみると、期待を上回る面白さだった。
苦しくて苦しくてしかたがないのに、ページをめくる手が止まらない。泣けるシーンもあれば、クスっと笑える一コマもある。
膨大な台詞の応酬と繊細なモノローグが延々と続くにも関わらず、テンポが良くスルスルと読めてしまう。
一気に読み進め、結末に涙し、読了後1週間ほど重苦しい気持ちを引きずった。
映画を観ようと思っている方はぜひ、原作漫画も読んで欲しい。
でも、できれば映画を観てから漫画を読んで欲しいと思う。
そんな本作だが、私はひそかにいつか実写化してほしいという願望を抱いていた。
二転三転する生々しい人間模様は、純粋に実写向きだなと思ったのだ。
それから10年経って、まさかの実写化である。
なので、今回の映画化には諸手を挙げて喜んだ人間だ。
私は喜び浮かれ、かつてない感染症拡大による公開延期も経験し、ひっそりと公開日を待ちわびた。
そして9月――ようやく劇場へ足を運ぶことができた。
※以下、原作・映画のネタバレを含む長い感想
映画は、第一作「キッシング・グーラミー」から完結編「俎上の鯉は二度跳ねる」までの内容となっている。
つまりシリーズの最初から最後まで、エピソードをかいつまんで描いている。
上映時間は130分。
映画は、主人公・恭一が大学時代の後輩である今ヶ瀬と再会するところから始まる。
懐かしむ恭一だが、実は今ヶ瀬は、恭一の妻・知佳子が恭一の浮気を疑い、浮気調査を依頼した調査員だった。
恭一は原作でも「良い会社に勤めていて、若くて優秀で魅力的な課長」という感じで描かれているが、映画ではしっかり広告代理店で勤務している姿が描写される。
ピシっとスーツを着こなし、大企業で働き、多くの同僚や部下に囲まれ、信頼を寄せられている恭一。
一方の今ヶ瀬は、興信所で働く調査員。彼が乗るクラシックカーの灰皿には、タバコの吸い殻がぎっしりと詰まっている。
眩しく輝く立派なオフィスビルでただひとり真っ黒なロングコートを身にまとい、ただならぬ気配を醸し出している。
対照的なふたりが昼間のオフィスで邂逅するシーンは、互いの立場をはっきりと示しつつ、物語の行く末のあやうさを表していた。
この序盤の展開は、前後の違いや省略はあれど、ほぼ原作「キッシング・グーラミー」と同じ流れである。
今ヶ瀬に浮気の証拠を掴まれた恭一が、証拠隠しの代償に身を差し出す。しかし妻には別れを告げられてしまう…というもの。
「寿司、好きです♡」ってぶりっこする今ヶ瀬が可愛かった。
もうずっと、隙あらば今ヶ瀬がじーーーーっと恭一を見つめて、ニコニコして、幸せそうな顔をしているのがたまらない。
キスシーンやラブシーンは、R15指定とはいえ、どのくらいの再現されるのだろうといろんな意味で心配していたが、まあまあ驚いた。
映画はわりと観るほうだが、見終わって濡れ場が多いなあ~と思う最近の邦画よりはちょっと多いだろうか。
描写は美しく上品で、ほどよく生々しい。
映像ならではの質感や音による表現が、感情の動きをよりリアルにする。最初の不倫シーンを除けば、男女の濃厚なシーンは控えめだ。その最初が一番すごいけど。
この作品におけるラブシーンは、物語を大きく動かすターニングポイントにもなるので、さらっと済ませてしまうのは違うし。
それ大丈夫なの?!とハラハラしてしまう気持ちのほうが強かった。大丈夫なんだ本当に……と複雑な気持ちで見守ってしまった。
このふたり、最初から最後までずっと揉め続けるのだが、そこはかなり簡略化されていた。そりゃ忠実に揉め続けたら尺が5時間あっても足りない。
妻の知佳子は原作だと可愛い顔して離婚を切り出すときは涙一つ流さず淡々としている女だったが、映画だと良い奥さん感がちょっと増していた。
でもここでの恭一が、知佳子を絶対に悪く言わないところがそういうとこだぞ!!!!となる。
そして次、原作だと「楽園の蛇」パートになる。
知佳子と離婚した恭一の元に今ヶ瀬が押しかけ、ふんわりとした関係を持ち続ける。
だが、恭一が高校の同窓会に参加し、当時憧れていた同級生と関係を持つ…のくだりはカットされていた。
でもそのかわり、恭一が「同窓会は行かないよ」って言うとこの今ヶ瀬の反応が可愛かった。
この映画、今ヶ瀬が超可愛い。原作にもあったが、恭一のふとした優しい言葉にキュンとしてしまう今ヶ瀬のダメさ加減が愛しい。
そして恭一の大学時代の恋人・夏生が早々と登場し、場をかき乱す。
原作でいうところのひとつの大きな山場「黒猫の冷えた指先」と「窮鼠はチーズの夢を見る」である。
夏生は、原作でも恭一と今ヶ瀬の関係に水を差し、恭一に今ヶ瀬とのうやむやなまま続く関係について一度立ち止まって考えさせる役割を果たす。
ここでついに濡れ場が入る。
上にも書いたが、ま~~おっかなびっくりで見守っているうちに終わった。
映像の美しさにはうっとりしたが、それを超えるとハラハラが止まらない。
ひとりで観に行ったにもかかわらず謎の気まずさに苛まれ、終演後のシンと静まり返った劇場内にみんな同じ気持ちなのかもしれない……と少し安心した。
私の2列前に座っていた、女性連れの壮年男性はどのような気持ちで見ていたのかが一番気になって勝手に心配してしまった。
順番が定かでないのだが、あのテレビ千〇でしか見たことのない、人差し指で乳首の位置を当て合うシーンは一体何だったんだ。
恭一が一瞬関西弁ぽくなっていたのでかなり素だったのでは…なんであのシーンが挟まれたのか謎である。
耳かきをしてもらう恭一と、恭一に片手間にポテチを食べさせる今ヶ瀬は超超超超可愛かった。でもポテチのときテレビに映っていた白目の芸人があまりに気になって気が気じゃなかった。なんだあれ。
そして後半突入。原作の「憂鬱バタフライ」~「俎上の鯉は二度跳ねる」である。
ここから恭一の部下・たまきが登場し(映画だと序盤からちょっとずつ出てくる)恭一と距離を詰め、今ヶ瀬が今まで以上に追い詰められていき、読んでいるほうもしんどさが倍増する怒涛の展開が始まる。
しかし前半部分となるここまで(窮鼠~まで)がわりと原作通りに進行しており、あの分厚い後半をどう詰め込むんだ?!と心配になる。
穏やかに進展していると思った恭一と今ヶ瀬の関係は、たまきの存在によって最大の危機を迎える。
痺れを切らした今ヶ瀬は、ついに恭一に別れを告げる。
原作にもあった海へ行くシーン。
ここは本当に、予告のときから、漫画を読んだときに想像した色彩の通りだなあと感動したシーンだ。
この映画の色彩や音楽の使い方は、原作の雰囲気をうまく表現していると思った。
原作を読むと、人間の嫉妬や憎悪といった汚い感情と複雑でねじ曲がった恋愛模様が怒涛のスピードで展開されるも、どこか淡々とした印象を受ける。
過剰にドラマチックに演出しようと思えばいくらでもできるだろうに、原作の世界は良い意味で淡泊であり、都会的で洗練されている。
登場人物たちも感情豊かではあるものの、どこか冷めている。
主人公の恭一が優しいけどいつもどこか冷静で、恋愛すら計算して何より「相手の機嫌を損ねない」ことを第一に接しているというのが大きいのだろうけど。
そこをうまく表しているなあと感じた。
エスニック料理がやたら出てきて笑ってしまったけども。今ヶ瀬の部屋もオリエンタル調だし。
あと何かと飯と煙草が登場する映画だった。大体のシーンで何か食べていたし、そうじゃないシーンは良からぬことが起きている。
いよいよ物語は終盤に突入し、もうひと山もふた山も乗り越えることになるワクワクの地獄展開が待ち受けているのだが、突然原作と大幅に異なる展開をする。
たまきは入院せず普通に恭一から別れを告げられ、恭一は今ヶ瀬を追いかけない。
今ヶ瀬が姿を消した後、たまきと結婚を考えるほど良好な関係を築く恭一。だが、本当は今ヶ瀬のことを忘れられずにいる。
原作では幸せの絶頂にあったたまきがストーカー被害に遭い、犯人に階段から突き落とされる。
事前にストーカーの存在に気づいていたたまきが、犯人の調査を依頼した相手が今ヶ瀬で、彼女の入院先で恭一と再会してしまう。
以上のややこしい下りがスッパリとカットされ、恭一と彼の家の前に車をつけていた今ヶ瀬が再会する。
恭一がたまきと結婚を考えていることを知った今ヶ瀬は、恭一に愛人にしてくれと懇願する。(ここは原作にもあった)
最初は婚約者となったたまきを想い、その要求を拒む恭一だが、色々あって結局今ヶ瀬を受け入れてしまう。
そして2度目のラブシーン、今度は恭一が今ヶ瀬を抱く。
たまきと別れてくれ、と冗談半分に言った今ヶ瀬の言葉に従い、恭一はたまきに別れを告げる。普通の喫茶店で!!!!!!!!!!
私は原作のこの、大けがを負って入院している心細そうなたまきに、恭一が病室で別れを告げるシーンが殊更好きなので、あっさりカットされてしまってショックを受けた。本当に。
謎のゲイが集うクラブへ行くシーンを入れるなら……と動揺した。あそこも原作なら泣いている恭一を見てしまうのはたまきである。
なにより、たまきと恭一の別れるシーンは、物語の結末でありずっと恭一が悩み続けた今ヶ瀬との関係について、ようやく答えが出る大事なシーンなのだ。
「左でも良いよ」と泣きながら恭一に縋るたまきに毎回涙した。それがアッサリと、普通の別れ話みたいになっていた……。
時間とか色々あるんだろうけど、せめてここの台詞は変えないで欲しかった。
(今ヶ瀬とは)結婚しないという恭一の言葉にたまきが「待っていても良いですか」と問うはずのところが、先の今ヶ瀬のごとく愛人でも良い的なニュアンスになっていたのが特に驚いた。
たまきの母は柳田常務の内縁の妻で、たまきはずっと父親がいない環境で育ち、時折父親が家に来る日を待ちわびていたたまきだから「待っている」と言えたのに~!
しかも別れを告げた恭一が家に帰ると今ヶ瀬が姿を消しており…の部分は同じなのに、恭一が今ヶ瀬を追いかけない!
追いかけて、最後の大喧嘩をし、またいつか訪れる、そして最後になるであろう別れの日を想いながら「指輪を買うよ」という恭一がいない!なぜ!
映画ではあまりフィーチャーされなかったが今ヶ瀬の「あなたじゃダメだ」という台詞が、今ヶ瀬との関係に誠実であろうとする恭一にとっての地雷ワードで、恭一は激昂する。
2度目を言うのはこのラストシーンでもある。
恭一はことあるごとに「ゲイの男がどれくらい深く男を愛するのかわからない」と考え「今ヶ瀬がダメだと言ったら自分の今ヶ瀬に対する愛情は意味がない」という線引きをしている。
3回目の「あなたじゃダメだ」を今ヶ瀬が言ったら、今度こそ終わりで、追いかけることもしないと告げる。
「俎上~」のタイトルにある「二度」というのもここの事を示しているのだと思うし。まあ映画は窮鼠なんだけど!
原作と相反し、他の男と寝ている今ヶ瀬と、待ち続ける恭一。で終わる本作。
この結末も、この辛い結末も好きだけど、でも、このたまきとの別れからの、雪の中で今ヶ瀬を追うシーンが大好きだった私はショックを受けた。
名台詞のオンパレードだというのに…せめてなぜ恭一は今ヶ瀬を追わなかったのか……その理由を知りたくてしかたがない。
しかしこの映画自体は、とても美しくてささやかで、原作の雰囲気をしっかり再現している作品だと思った。
最後だけちょっと納得ができなかったものの概ね満足した。
そして映像美、特に美しい男を堪能するには良い映画だと思う。
実写化に関しては、個人的に待ちわびていたのでもう文句のつけようがない。キャストも良かった。
特に今ヶ瀬が可愛くて可哀そうで素晴らしかった。
思い出深い本作が、この布陣で映像化されたことに感謝している。
観ることができて良かった。
できることならもう一度、原作を忘れてフラットな状況で見直したい。
遙か7 八葉全員終わった話
八葉個別ルートを全て終えた。
ルートごとの感想は書いたものの、ちょっと自分を落ち着かせるために(最後に幸村ルートで締めたので)八葉ルート全体を通しての感想をまとめようと思う。
バッドエンドや大団円は未見。気になることがありすぎて、大団円ついでに1からプレイしようと思っている。
まずこの遙か7、天地の四神で個別ルートのテーマが共通しつつ対比される構成がとても面白い。
青龍なら、ヒロイン・七緒の正体との向き合い方。
幸村・五月ともに個別ルートに入ると、七緒の正体が龍神自身であり、彼女が力を使いすぎることによって人としての姿や記憶を保てなくなる可能性があることを知る。
幸村は、一度は七緒の選択を拒むものの、七緒が目指す生きざまに自分の生きざまを重ね、世界を守るためなら自分が消失することも構わないという七緒の決意を受け入れる。
当然、五月を始め他の八葉たちは七緒と幸村の選択に反発する。五月なんて「理解できない」と言い切るほどだ。多分他の八葉も心の内では思っていたことだろう。
だが七緒は世界を守るため龍神に姿を変える。
幸村は自分が成すべきことの全て――三成と交わした約束を守ること――が終わったら七緒の元へ行くと誓い、それを叶える。
ふたりが再会するのは神域。龍神がおわす、人間が暮らしているこの地上ではないどこか。
永遠に続く静かな世界で、ふたりはようやく結ばれる。
「家族」という形をあれほど望んでいた幸村なのに、エンディングスチルのタイトルが「永遠の恋人」って切なすぎないか。
生前に婚姻関係を結んでいなかったから? たしかに葬式でも墓に入るときでも夫婦関係は重要視される。
神前式の三々九度は同じ盃で酒を飲むことで「同じ釜の飯を食う」的な意味が生まれるらしい。婚姻には指輪や誓いのキスなど、何かと互いを結び付ける儀式が伴う。
龍神だから婚姻とかが関係ないとかなのか。う~~~ん、何にしても永遠に「恋人」止まりの関係に収まったふたりがあまりに切ない。
一方の五月はというと、七緒の正体を知り、彼女を失わないためなら何だってするとても強引で強欲な男だった。きっと五月なら幸村が頼めば協力してくれたと思うよ。
でも、歴代八葉の行動としてはこっちのが正しいというか、大多数なのだ。だから何の疑問も抱かなかった。
宗矩にも共通することだが、龍神となった七緒を、人の力で取り戻すことができないわけじゃない。でも幸村ルートの場合心柱がポッキリするところだったから難しいのか…五月ルートでは次代の白龍が発現していたというのもあるけど。
五月ルートの場合は人としての名前を呼ぶことで「天野七緒」を取り戻す。
それに人間だったことを思い出せば戻ることができるというのは過去作で何度も描かれてきた。
だから五月ルートは、五月の行動も七緒の行動も納得なのだ。
手段は強引だが、幸村ルートを見た後だとあれくらいやらなきゃ五月の決意も伝わらなかったんだろうな。五月ルートのほうが七緒が龍神になって石田三成を助け出すとかいう力業を使ったりするんだけど。
そして五月ルートは「家族」が「恋人」になる話でもある。
家族ではなく新たに「恋人」としての一歩を踏み出し、ゆくゆくは新たな家族を作る……そんなエンディングだった。
朱雀は、自分の信念を見出すと共に、父親との折り合いをつける話というか。
父親というのは少年漫画なんかだと主人公にとって目標とか憧れとか、逆に倒すべき相手になっていて、思春期の少年に多大な影響をもたらす存在として描かれることがままある。
武蔵と大和にとっての父親は、はっきり言って正常に機能していない。
幼少の武蔵に剣を教えておきながら、結果が出ず才がないと切り捨てた父。彼は天賦の才があったから、努力型の息子のことを受け入れられなかったのだろう。
武蔵が八葉の中でも飛び抜けて礼儀正しい男に育ったのは、父親の影響というより長政の影響のほうが強そうだ。彼のほうがよっぽど彼を近くに置き、厳しくも長い目で見守ってきたのではないか。
剣の技術も未熟で年若い武蔵を近習にし、修行だなんだとわりと好きにやらせている点でも、長政なりの優しさがあってのことではなかろうか。
そんな武蔵が剣の道を極めるにあたり、彼に足りない「何か」を探すことが武蔵ルートの大きな課題となる。
武蔵の師となった謎の男――甦った足利義輝は剣豪として名高い将軍であった。怨霊とはいえ本来の人柄は心優しく正義感があり、師にするには申し分ない人物であることが伺い知れる。
尊敬できる師と出会い、好敵手の大和と切磋琢磨し、「大人」の立場にある八葉たちに見守られ、武蔵は成長する。
その象徴がラスボス戦の前の展開だ。他のルートじゃあそこまで他の八葉がガッツリ出演し、結ばれるべきふたりを手助けする描写は入らない。
このルートでの「大人」たる天地の八葉がそれぞれ協力しあい、迫り来る敵の足止めをし、武蔵と七緒の行くべき道を切り開く。長年武蔵を見守ってきたのであろう長政が送り出し、友人で好敵手となった大和が背を守る。
敵の陣中へ向かうのは武蔵と七緒のふたり。なんと尊く美しい構図なのかと心の底から感激した。
だが、不利になればすぐ助太刀しに駆け付けてくれる。まだ少年と少女であるふたりの周りには、こんなに頼もしい仲間がいることを教えてくれる。
そして大和ルートは、他人はおろか父親にまで拒まれた大和が居場所を見つける話だ。
話は逸れるが、武蔵ルートのイベントで、武蔵の父親が武蔵に剣の道を諦めろと言い放ったのを見た大和が、かなり感情的になって憤るシーンがある。
大和および武蔵ルートの大和は結構感情的で、はつらつとしており、年相応の少年感が強まる。
武蔵と大和の関係性の変化は、互いのルートで重要な要素として描かれる。これは遙か1・2を彷彿とさせる展開のさせ方だった。
1・2の朱雀組といえば、鬼を憎むイノリと鬼に似た容姿の詩紋。また、貴族嫌いのイサトと東宮の彰紋。
この龍神の当て付けとしか思えない人選が、未熟な少年であるふたりに話し合って理解する努力をさせ、かけがえのない友情を築くことで、互いを大きく成長させる。
個別ルート制が導入される前の1・2は最初から最後までメインシナリオが共通しており、そのシナリオは神子と八葉ないし八葉同士の精神的な結び付きが重要視される内容だった。(特に2。最初が悪いぶん話の7割くらいそれだった)
武蔵と大和も最初は彼らのように相容れない存在として描かれている。(武蔵はいくらか大人な対応をしていたが)
そんなふたりは、互いの長所と短所に向き合い、和解し、友情を築くことで双方が成長する。他のルートと違うのは、武蔵と大和は自分自身や主人公と向き合うだけではなく、自らを取り巻く環境とそこにいる親や八葉たちと向き合い、自分らしさを見つけることが重要となる。
それ故、最初から最後まで若々しく瑞々しいストーリーで完結したのが清々しかった。
大和はとにかく父親と向き合い、自分と向き合い、自分を見守ってくれる人たちから逃げないことが課題である。
家族や友人という関係を築けなかった大和。彼の行動が「逃げ」かというとまあ、そうなのだが、あの環境は逃げても良かったと思う。高校生の息子にさも当然とばかりに住宅情報誌を渡す父親ってなあ……
武蔵にとって必要な大人が導いてくれる存在なら、大和にとっての必要な大人というのは何だろう。保護とか承認とか、すごく基本的な要素だろうか。
大和ルートは恋愛の展開よりも、大和を取り巻く大人たちの良心と七緒のやさしさに胸を打たれた。すごく不器用な大和を認めて許してくれる大人たち。そして幼馴染たち。
朱雀ふたりのルートは他の八葉が大活躍で、楽しいシナリオだった。
白虎のふたりは、立場も勢力も展開も性格も真逆。
だが、主人公に対して回りくどく嫌味を言い、上から目線で試すような発言をし、なにかと課題を出してくる点は共通している。そしてそういうところが私を~~~~~そそのかすのよ~~~~~~~~!!!!!!!
主君となるにはふさわしくない!はい!そういうの好き!俺に君が欲しいと思わせてみな!はい!!!!見てろよ!!!!!そっちから頭を下げてくるのは目に見えているぞ!!!!!!!!
そんなふうに、大変テンションが上がったのがこのふたりである。
長政は主人公と対立する東軍に属し、簡単に言えばロミジュリ的王道展開を見せてくれる。ハッピーエンドだけど。
互いに好意を抱いていることを理解しながら決して気持ちを口に出すことを許さない長政は、関ヶ原の合戦を前にし七緒とは道を違えることを宣告する。
これは戦モノの醍醐味である。
他のルートがわりと織田家管轄で過ごすことがメインもしくは完全なる西軍だったので、主人公とハッキリ対立するのは長政だけだった。
でも長政ルートであんまり長政が出てこないのもアレなので、さっさと岐阜城は開城し、七緒は長政に浚われていく。そして政略結婚という展開をみせる。
あとはもう、王道覇道一直線。
う~~~~ん、快活!な長政ルート。対立しても湿っぽくならないところが気持ちいい。何せ長政がしっかり割り切る男なので。そして、他のルートがジメジメなので……
白虎は相手の地元があって、そこで問題解決したり意外な一面的なものが見える点も他にはない要素で大変良かった。兼続もだが、自分の家や領地のために生きる真っすぐな姿がとてもかっこよくてありがとうという気持ちになった。
激昂してあやめにたしなめられたりね。食い意地のはったあやめが可愛かった……
対する兼続は、ルート確定フラグを立てるやいなや七緒に求婚し、自分の地元へ七緒を連れて帰る。
結婚は先延ばしだが、嫁を連れ帰りルンルンの兼続である。とてもかわいい。農業に精を出し、ほのぼのとした時間が流れていく。
それが戦が始まると途端に空気が重苦しくなっていく。
敗軍のルートなので覚悟はしていたが辛かった。
長政は個別に入る前が切なくて後半は気持ちよく終わるのが、兼続は話が進むほどしんどくなる。何回(しんど……)と思ったことだろう。
そしてこのルートは石田三成の人となり、五月ルートでは描かれなかった戦国時代を生きたひとりの男としての一面が浮き彫りになる。
戦の展開のさせかたは他のルートと全く異なっていて楽しい。
現代ツールが多く登場する長政・兼続両者のルートだが(長政はコーヒーだけど)新しいものを拒まず積極的に取り入れようとするという共通点もあるのだろうか。
対立していなければ良い友達になれたかもと匂わせるシーンがあるが、このふたりの個別ルートを終えると本当にそうだなあと感じた。
玄武はもともと知り合いなので対立することはない。彼らのテーマはなんだろうと考えると、簡単に言えば罪悪感だろうか。
明智家の生き残りでありながら一族復興から目を逸らした阿国、ターラを見逃し彼女を憎悪の化身とさせたことを気負う宗矩。
平和主義者で戦を忌避する性質は、天の玄武そのものだ。
心根が優しい阿国は、いつも七緒のことを気にかけ誰より七緒の気持ちに寄り添ってくれる。
その理由は多分、止められないと分かっていても戦を――人の死を望まない七緒の気持ちを誰より理解しているからだろう。
心の弱さが弱点だった阿国は、唯一の肉親・細川ガラシャとの再会によって心を決める。
それは一族復興ではなく、自分がより自分らしく生きることができる道を選ぶこと。そんな生き方をガラシャが送ることも願う。
ガラシャが自由に生きることを望むのが、自分を許すことに繋がる。そして明智の血を継ぐものをこれ以上失わなかったという救いももたらす。
自らを縛っていた明智家の生き残りであるという――復興することができなかったことも――罪の意識から解放される阿国。
その傍らには、かつて婚約者であった七緒がいる。
阿国ルートはとにかく切なくてキュンキュンするシナリオだった。そして、遙からしさを感じるルートでもあった。
宗矩は、ターラの解放と宗矩自身の心の解放。
地の玄武は特殊な立ち位置であることが多く、やはり今作でも鬼の血が混ざっているという設定があった。
何より一族を思いやり、一族のために動く宗矩の方針は阿国と正反対であり、なおかつ人ならざる存在であった泰明や泰継を妙に彷彿とさせた。
七緒のために薬をあげようとして、断ると迷惑だったか…と呟き恋愛進行不可になる純粋さも、高杉だと思ったら泰明泰継だーーーーー!!!!と大変驚いた。
いや、高杉も存外かわいいやつなんですけど……。
七緒と親交を深めながらも一族のために尽力し、最終的には徳川政権下でかなりの地位まで登り詰めることになる。
だが彼の望みは龍となり消えた七緒を取り戻すこと。
七緒を取り戻し、一族だけに縛られることのない自らの人生も得て、一族を守ることもできた。
機械のようだった宗矩が人間らしくなる過程は胸が熱くなった。
そしてこのルート、ターラと決別するシーンは涙なしには見られない。ターラと決別することで彼の贖罪は叶う。
とんでもなく綺麗な終わり方をしたものだと心底感心した。
そんなこんなで遙か7、八葉全員のルートが終わってしまった。
神子が龍神という謎とか幸村がつらいとか幸村がつらいとかふわラテとかジャガイモとかいろんな爪痕を残していった。
あと一瞬しれっと名前だけ出てきた南光坊は関ヶ原のアレで四神にアレソレしたのかが気になってしかたない。
戦国か~と思いながらふんわりスタートした私の遙か7、今はとにかく1~3を再プレイしたくてしかたないのだけれど、2のアルティメットでも愛蔵版でもなんでもいいから出してくれ!!!!!!たのむ!!!!!!!!!
いや~ほんと、1と2がやりたくてしかたないんだよ……だってなんかすごい初期作ぽかったじゃないですか……なんか……
遙か7 幸村ルート感想~そういやこういうことをする会社だった
天の青龍・真田幸村ルート
あーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
つらい
コーエーにこういう癖があるのを、相当こじらせているのをすっかり忘れていた。
だって宗矩も五月もああだったし……幸村エンドを迎えたフォロワーが虚無みたいなツイートしてたけど、ええ?どこどこ?どこがそんな?みたいになっていた。途中まで。
いや そうだ コーエーは きっとそこが
「わたしのいちばんすきな真田幸村」
なんだ……
振り返ると、シリーズで初めて史実の人物が大々的に出るようになったのが「遙か3」。
「判官贔屓」という言葉が生まれたほど、悲劇的なヒーローの象徴である「源義経」と「源平合戦」がモチーフになった。
八葉には源九郎義経、武蔵坊弁慶、梶原景時、平敦盛というまあまあまあまあワケアリの顔ぶれが揃っている。
これは悲劇です!わかってるよね!?が前提なのだ。
だからこそ「3」ではそれらの悲しい運命を経験したうえで「時空跳躍という特殊能力」を得た「人間としてのヒロイン・春日望美」が「運命を上書き」して、最終的に全部救済する、一人も絶対殺さないことが明確な目的とされたゲームである。
一方で、キャラによっては(ほとんど)史実だと途中で悲運な死を遂げるので神子が力づくで守ったあと現代エンドになったりもした。
最終的に時代の流れ、大きな潮流、人の生き死に、殊に「生きている人の意思」は龍神にも塗り替えられないっていう(平氏が負けるとか義経が頼朝に討たれるとか)歴史モノに向き合ってきたコーエーだからこそなのか、確固たる信念みたいなものも感じられた。
でもバッドエンド以外で死ネタが入ることは無かった。そこが3なんだけど。むしろ全員一度は死ぬんだけど。
そんなユーザーの信用を裏切ったのが「遙か4」の「葛城忍人」である。
史実ではないが、トゥルーエンドで忍人のみが死ぬという結末を迎える。
いやでも忍人の場合、死亡フラグがキャラ設定の時点でビンビンだった(なんたって使用武器の名前が「破魂刀」)し、なんとも取れる終わり方だったんだよ……多分……
4が出たあと「忍人エンド」という言葉は遙かユーザー内で察してくれみたいな意味となった。
そして、5だとこれまた幕末の悲劇といえばな新選組の沖田総司をはじめ坂本龍馬、高杉晋作も、どうやっても死ぬパターンが組み込まれる。
でもこれも3ほどじゃないがタイムトリップ要素があって、救うこと前提だった。
死から逃れられなかったのもいたけど。
死ぬもしくは近々死ぬ!でも、神子と生きて添い遂げることはできる。
5は史実の人物も多く、幕末というだいたい悲劇が結びつく時代設定で、死と隣り合わせ感が八葉も神子も強かったな。そういえば。
そうして、3の話って3の設定があってこそなんだよ、というのを4・5を通して教えてくれた。というかわかっていただろう私……と幸村エンドを見たあと思い出しました!!!!!
そして次の史実モノ、7。
戦国時代。まあ人は死ぬんだろう。
でも、真田幸村って名前は知ってるけど、どういう死に方をしたんだ? と思ったけどウィキペディアは見なかった。知ってたら、どう持っていくんだ……とさぞハラハラしていたことだろう。大袈裟じゃなく私は戦国時代に関して無知だった。
というか、一度選択肢を間違えた私はね、見ていたんですよ。
神子として戦うことを辞めたエンド。関が原のあとで大坂で戦が起こって、上田にいた幸村が主人公を置いて挙兵に参加して、討ち死にするバッドエンドを。
だから、これ(史実に近いであろう死に方)を敢えてバッドエンドとして入れてくるなら、トゥルーで死亡エンドはないんだな? と確信にも近い思いを抱いた。
しかし、その後、成功選択肢を選んでも、どうにも生きて上田で暮らす未来より、神子も幸村ももろともどうにかなる結末へのフラグのほうが強かった。
ううーん、でも五月と宗矩でアレ*1が許されたなら、五月ルートの石田三成*2がああなったなら、幸村もそうなるのが順当な流れでは?
まあ全部、そんなことあってほしくないっていう、願望だったんですけどね……
でも、兼続も長政も病死なんだと思うと、遙か的文法でいうなら彼らの運命には神子の入る余地がある。
幸村の運命には神子、ひいては龍神の介入が許されない……なんたって人の生き死にだから。戦という大きな人の思いと時代の流れだから。
ていうか解釈を間違えていたのは私なのだ。
遙かは別に、悲壮な運命を変える話でも、八葉と恋愛する話でもない。
単なる、世界を救う神子と八葉の話なのだ。
その八葉がたまたま恋愛対象になり、たまたま悲運の死を遂げた。
神子(と呼ぶべきなのか)は使命を全うし、世界を救った。
「その恋は運命を越える」という遙か7のコピー。
運命を変えるわけじゃなく、越えるのだ……過酷な運命を越え、結ばれる。
幸村と七緒は、まさにそれを体現した。
いや、他の八葉も、あえて史実をあまり変更せず、史実の枠のなか――彼らの運命を越えた先で、七緒と結ばれたのだ。
そしてこの幸村エンドは、決して遙かシリーズの中での特異例ではない。
神子が世界を救うことを諦めたことがあっただろうか。
彼女たちはいつだって異世界のために尽力した。いや、他でもない私自身が、そうしてきたじゃないか。
幸村ルートは、恋愛面とか家族の話とかもすっごい丁寧に描かれていて満足した。告白もちゃんとあるし!(遙か7の良いところ、ちゃんと愛の告白がある!)
言いたいこと、うれしかったこと、たのしかったこと、たくさんあります。
あ~~~~~~でももうだめ、全部持っていかれた。
龍神の神子――龍神としての使命を貫き、人として生きる道を捨てても、世界を救った天野七緒。
大坂の陣で、豊臣への忠心、三成との約束、彼にとっての義を貫き通し、討ち死にする真田幸村。
そのふたりが、再会する。ふたりで見ようと約束した、青い花が一面に咲く天上の地で。
あんまり、あんまりだ。ひどい。でも、これしかないんだ。
真田幸村という男の一生を書き切るには。
天野七緒という少女の使命と決意を書き切るには。
ふたりが望んだ、あたたかくて優しい世界は、天上の、誰にも分からないどこかにしか、ふたりにしか分からない約束の場所にしか……なかった……
幸村が生き延びて、七緒が龍の姿から戻ってくるっていう結末じゃ、ふたりの本当に望んだ世界じゃないんだよ。
やるべきことをやって、なんの悔いもなく生きるにはこうすることしかできなかったんだ……そして、真田幸村という男の人生は、大坂夏の陣で義を貫き、果て、日の本一の武士と呼ばれるほどの武勲を残したことを、どうしても、絶対に書かなきゃならなかったんだ……歴史を変えることなんてできない。そこにある運命を越えることしかできない。
もし七緒に望美のような能力があったとして、幸村はそれを良しとしないだろう。
なんたって、義を貫き通す男だから。
ああ~~~~~~~マジで何も言葉にならない。しんどい。
でもこの遙か7、ルートによってラスボスが変わるどころかそのボスの人間性のイメージも変わるし、ピックアップされる要素も違うし、全部終わるとぴったりパズルのピースが嵌る感覚がなんとも心地よい作品だった。
あとは大団円を見るのみだがアッサリらしいので、とりあえずこの幸村ルートの衝撃を飲み込んだら、ゆっくり楽しもうと思う。
キャラソンと私
すっかり遙かが再燃してしまった最近の私。
そこに突如舞い込んだ、遙か1~4のイベントの開催。
こんな状況だが、オンラインなら参加できる!ありがたい!楽しみ!
しかもキャラソン投票なるものが行われるということで、早速サイトを見に行ってみた。
投票は、1番思い入れのある1曲を選ぶ他、声優ごとに1曲ずつ選ぶ形式。
1番好きな曲には遙か2、平勝真の「初嵐の眩暈をお前と」を迷うことなく選んだ。
この曲だけは譲れない。絶対的圧倒的ナンバーワンキャラソン。人生で一番聴いた回数が多い曲じゃなかろうか。
しかし、曲だけかと思ったらエピソードも書かなくてはならない。
え、エピソードとは…?
一緒に船岡山へ登ったり、松尾大社へ行ったりしたことを書けばいいのか?
キャラソンって思い入れや萌えや愛情はあるけど、具体的なエピソードと言われるとパッと思いつかない。
友人ら3名でネオロマのキャラソン100曲歌うまで帰れない耐久カラオケをしたこととか、歪んだ青春エピソードしかない。楽しかったなあ!
普通の曲だと「失恋したとき聴いていた」とか「悩んだときに元気を貰った」ってエピソードが付随する場合があるが、キャラソンのエピソード……悩んだときに聴くと元気は貰えるけど。
キャラソンってキャラの解釈を深めるというか、攻略対象サイドの物語を読む感覚というか、ゲームをプレイすることの延長線上に存在する行為な気がする。
私の中では普通の曲を聴くのとキャラソンを聴くモチベーションが違う。そんな感じだ。
なので、イベントのときに一体どんなエピソードが出てくるのか興味深いところだ。
思えば私はキャラソン運がなく、頻繁にネオロマのイベントに参加していた時も、なかなか目当ての曲が参加公演に被らず悔しい思いをしたことのほうが記憶に残っている。
火群の地平線とか…たしか3日間公演で行った日の前日に歌われてしまったのだ…
具体的なエピソードが書けなかった情けない私は、140字みっちりと思いの丈を綴ってきた。
もし「初嵐の眩暈をお前と」が9月のイベントで歌われることになったら、ケーキでお祝いしよう。
あっ、デュエットなら「氷壁の鏡 灼熱の希望」が聴きたいです!どうですか!
2のキャラソンはどれも素晴らしいので、何が出てきても小躍りで喜ぶと思うが、記念イヤーだからこそ初期の曲を聴きたいなぁと今からワクワクしてしまう。
ところでこの投票結果から各公演で5曲ずつ歌唱があることは確定らしいが「風葬の荒野」や「逆風の時空にひとり」とか……デュエットがあるなら「時空の河を渡れ」とか「嵐翠の鬣で飛べ」とかも聞けるチャンスがあるのかな~~~~~~??!!!
あとなかなかレアリティの高い「不思議野の迷い子」とか……じれっ隊とか……
八葉中7人が揃うということで(声の出演を含めたら全員!)デュエット以上の楽曲も聴けたら良いなぁ。
今からイベントが楽しみだ。
遙か7 兼続ルート感想~愛と義のジャガイモ
遙か7 五月ルート感想~水筒が伏線だったなんて
地の青龍・天野五月ルート
色々やること多すぎて恋愛すんの忘れてたわ!とりあえず最後に恋人って入れとこ!オッケー!で終わった。
いやいやいや!
私はたとえ義理であっても、兄弟として育った二人が突然恋愛するネタがあまり得意ではないので、五月ルートはものすごーーーーく身構えて挑んだ。
そしたら恋愛?いつあった?って思ってたら、最後に取って付けたように告白されてまぁ……逆に良かったんですけど……
でも今回の遙かってわりときちんと恋愛の過程も描かれていたので、ちょっとびっくりした。
シナリオとしてはかなり核心に迫った感じだったが、果たしてどこまでが真相なんだこの話は。幸村やると分かるのかな。
まず感想としては、このルート、やることが多すぎる。
・主人公の正体
・五月の生き別れの双子の行方
・五月による歴史改変
・平島義近の陰謀を止める
・チビ白龍を助ける
・義理の兄妹から恋愛関係へ発展する経過
五月ひとりでこれだけやらなきゃならない。大変だ。
まず、ルートに入る前に知らされる五月の生き別れの双子の存在。
五月より能力に秀でた星の一族で、七緒と入れ替わりに異世界へ飛ばされたらしい。
五月はずっと彼を探している。
ウンウン、地の青龍あるある、兄弟ネタだ。
ちょっと甘い雰囲気にもなる。
兄なのに、妹なのに……みたいな。
ルート入る前がやたら恋愛色強い。
そして次に、他の八葉ルートでは匂わせるだけで結局見えてこなかった主人公の正体が、ここで一気に明かされていく。
主人公はなんと織田信長の娘である以前に白龍だった!えー!?なに?!どういうこと?!
白龍ってなに?!人間じゃないの?!そういや宗矩ルートでフワフワ漂ってたけどそういうこと?!
主人公の妹にあたる(?)小さい白龍が佐和山城で飼われていた。可愛い。
……なんか平島が怪しいけど。大丈夫か?
このルートで一番大きく取り上げられるのは、双子の片割れでも、歴史改変でも、平島でもなく、主人公の正体について。
佐和山城のチビ白龍の存在に不穏だな~もしや……思っていると、いきなり五月からもう封印するな!と怒られ、色々あって、主人公の正体が判明。
龍の姿になって漂っていたけど、五月たちの姿をみて違和感を覚える。
ここの、人間に戻るときのスチルが超綺麗だった……今回、原画が全部水野十子先生なので(6もだが)本当に美しい。
で、やっと人間の姿に戻ってこれからじゃんじゃん封印してくよ!と思ったらなんと時空を越えて閉じ込められた。意味なかったけど。
七緒の正体に気づいてから、ひとりで突っ走る五月はちょっと怖かったし可哀そうだった。大人っぽいけど結局はまだ18歳ってことなんだろな。
で、なんで五月がこうも突っ走るかというと、お前は白龍だから、力尽きそうなんだからやめなさいということらしい。
そっかわかったわかった!でも戦いたいよ!と寝て起きたら五月だけ異世界へ帰っていた。
龍穴には結界が。でも神子は白龍だから祈ったら異世界へ行けてしまった。
現代から戻ると慌ただしく関ヶ原の合戦が始まる。
半年ほど時間が経過していて、五月は織田軍の軍配者になったらしい。
西軍を負かせまいと奔走する五月をみて、モヤモヤする主人公。歴史に介入しちゃダメって言ってたのは五月なのに。
でも、平島は?双子は?と、置き去りにされた話にずっとモヤモヤしてると、突然出てくる石田三成。
あれ、そういや髪型似てるな。顔も、あれっ、服が色違い……あーーーー!?!
終わりも終わりに明かされる五月の双子の兄は石田三成だったという真実。
マジで気づかなかった。
でも石田三成は、まだ五月が弟であることは認めない。こじれが残る。
えっもう最終章だよ!平島義近は?!白龍は!!??
畳み掛けるように全ての問題を解決していく最終章。
西軍が負け、囚われた石田三成はやはり五月の片割れで、白龍パワーを使って現代まで逃れさせた。最後戻ってっちゃったけど。
平島義近もちゃんと成敗した。チビ白龍を琵琶湖に戻したらめちゃくちゃデカくなって(CV置鮎龍太郎ではない)お姉ちゃんはもう人間になっていいよ!と言われる。
いやでも上手くまとまってはいた。ただ時間がなさすぎた。三成とかもっと生かせそうだったから勿体なかったな。
でもまあ、真相を知るとこれはこの上ないハッピーエンドだ。
それで、一番大忘れしていたのが恋愛!
ネオロマすぐ恋愛忘れる!
さて帰るかー!アー!なんか兄と妹どうのこうのでちょっと言い合ってたけど忘れてた!よし!
「これからは兄妹じゃなく、恋人としてすごそう!」
まっ、まじか、そこ葛藤ポイントじゃないんだ……まぁ、兄妹ネタ苦手なので良いけど……
名前を呼ぶことで人間であることを思い出すというのは良かった。
あと信じることが大事!っていうのはめちゃくちゃ地の青龍だ。そうそう。地の青龍。
ひとりで突っ走るところとかも地の青龍。
これどうなったの?は無かったけど、ちょっと駆け足気味だった……。
他のルートも全部やると見方が変わりそうである。
でも序盤から伏線が張り巡らされていたのは驚いた。なるほどなぁ。
神子自身が白龍っていうのがいまいちピンとこない。亡くなったらしい直前の神子と関わってくるのだろうか。兼続か幸村ルートで子細が明かされることを期待する。
西暦ですぐ歴史トークできる天野兄弟はすごいぞ!